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ゆっくりご覧になりたい方は、一度タップして、左上の【Pause】ボタンを押してください 「人生は諸法無我5〜人生を変えた大ケガ」
鳳鳴40期 1988年卒 三澤威 「人生は諸法無我(1)〜同級生からの手紙」2024.12掲載 「人生は諸法無我2〜初任給の思い出」2025.3掲載 「人生は諸法無我3〜あの頃の貴重な日々」2025.6掲載 「人生は諸法無我4〜全てが未熟だった」2025.8.5掲載 リング上で仰向けで倒れている自分。手足がピクリとも動かない。体がどうなっているのか、何が起きているのか、全くわからなかった。 試合はストップし、救急車で病院に運ばれた。 僕自身は、ただ痛かった。手がビリビリと痺れた。少しの振動で強烈な痛みが走った。風が当たるだけで痛かった。シーツが触れるだけで激痛だった。 痛みに支配されていたので、記憶はかなり欠如している。うっすらとドクターに、体に感覚があるか、動くかなどを、触診されていたのを覚えている。 ドクターが誰かに説明していたのであろう。 「もしかしたら車椅子かもしれない。」 「初期社会復帰できればいいかも。」 その言葉だけが僕に届いた。 幸いにも、麻痺した体は少しづつ動くようになってきた。日に日に、手の使える動きが増えた。スプーンを持って、自分で食事が食べられるようになった。箸を持って食べられるようになった。雑誌が持てるようになった。特殊な寝たままのメガネで、テレビや雑誌が見れるようになった。手伝ってもらいながら、寝返りがうてるようになった。車イスに乗れるようになった。自分の手で車イスを動かせるようになった。歩行訓練を始められた。リハビリでできることが多くなった。少しずつ、少しずつ、できる動きが増えていた。 今まで普通に出来ていた動きが、こんなにもありがたい動きだったとは。失ってはじめて分かる当たり前のありがたさ。有難いは、有るのが難しい。本当は、あたり前はあたり前ではなかった。 かゆいところを自分で掻く。取りたい物を自分で取る。食べたい時に自分で食べる。 自分で、自分で…なんと自由なことか! 人は、生まれ、動きを増やし、出来ることを増やし、自由を手に入れていく。動きを増やす、動きやすい体を手に入れるとは、自由を増やすこと。 人は言う。自由になりたいと。束縛されたくないと。でも、体のメンテナンスを疎かにして、体の動きを減らしていないだろうか。体の動きを減らすとは、自由を減らすこと。体をメンテナンスしないと言うことは、自由を得たいと願いながら、自由を得る機会を逃していることではないだろうか。 リハビリ室には、他にも脊髄損傷で四肢麻痺となり、リハビリされている患者さんがいた。人によって、回復具合やリハビリの成果はまるで違う。僕は、かなり順調に動けるようになっていった。でも、動きが見られない方もいた。 動けることのありがたさ。当たり前のありがたさ。自由のありがたさ。動けるようになったものとそうでないものの違い。同じ努力でも違う結果の出ること。何が違いをつくるのか。 二十歳の僕は、病室のベッドで、リハビリ室で、いろんな思考をインプットされていた。 その思考が、今の僕を今の僕たらしめている。 このケガが僕の人生を大きく変えた。 夢に向かってがむしゃらに進む生き方ではなく、起きたことを受け入れて、今を一生懸命に生きる。諸行無常、諸法無我の人生が動き出した瞬間でもある。 諸法無我の人生、続きは9月27日の東京鳳鳴会前の鳳鳴塾にて! 2025.8.27掲載
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